それは唐突と言ってもいい申し出だった。いかに竜族とはいえ、一対一の勝負を受けて勝てる見込みなど無いのだ。まして、このような魔物を相手に…。
「少し、時間をくれ」
「好きにするがいい」
リュウは魔物に背を向ける。普通なら絶対にやらないであろう行為だ。だが、リュウには確信があった。こいつは不意打ちなどしない、と…。戻ってくるリュウに仲間が駆け寄る。
「なあリュウ。あいつってやっぱり…」
「俺たちがガキの頃に殺されかけた魔物、だ」
「そうだよな…」
ボッシュがやはり、という表情で頷く。
「で、ダンナ。何を言われたの?」
「俺とサシで戦いたいってさ」
「マヂですか!?」
おどけたような口調のステン。だが、本当に驚いているのかもしれない。
「で、どうすんだ? あいつの申し出を受けるのか?」
「受ける。あいつは自分のことを悪夢と言っていた。俺の手で倒さないと、過去に決着をつけられない…」
「そうだよな。お前にまかせるよ。ってえか、俺たちがついていったからって勝てそうにないもんな…」
「じゃあ、ダンナ。これを持っていくといいかもね」
ステンが渡したのは、大きな鞘に収められた剣だった。普段使っている剣よりもだいぶ大掛かりで、片手で振りまわせるような大きさではない。重量もかなりのものだ。よく見ると、決して派手ではないが鞘にも柄にも竜の装飾が施されている。リュウは鞘から剣を抜いた。
「うっ…」
初めて持つサイズの大剣。片手で持てないだけに、腕にはかなりの負担がかかる。本当にこんなものを振りまわせるのだろうか? そんな疑問が頭を過ぎる。だが、にわかには信じられないことが起こる。
剣を持つ手に電気のような刺激が走る。だが、痛くはない。むしろ気持ちいいぐらいだ。刺激と共に高揚感が全身を駆け巡る。身体が軽い。それにこの感覚…初めて持つにも関わらず、使い慣れた剣のように手になじむ。まるでリュウのために作られたようだ。もちろん重いことには変わらないが、みなぎる力がそれを感じさせない。
試しに振りまわしてみる。両手でないと扱えない分、これまで使っていた規格物の剣とは勝手が違うが、それでもどんな剣より使いやすい。しかも、振るうたびに剣から炎が走る。まるでリュウの昂ぶる感情に呼応するように…。
「よし、こいつならいけるぜ!」
「気をつけてね…」
「おう!」
ニーナに言葉を返し、リュウは魔物の下に向かう。
「待たせたな。その申し出、受けてやる!」
「気に入った! さすがは竜の勇者!
誰の手も借りずに、お前自身の力で
お前の悪夢に立ち向かって見せろ!」
再びリュウが構える。剣の大きさに合わせて切っ先を下げ、剣を横に向ける。そのまま間合いをゆっくり詰める。互いの制空圏が触れたその瞬間に、リュウは剣を振った。魔物も同じタイミングで一撃を繰り出す。刃と爪がぶつかり合い、鈍い音が響く。
この打ち合いに勝ったのは剣のほうだった。振りぬかれた刃は魔物の爪を弾き、その勢いで腕まで弾き懐の隙間をのぞかせる。今まで使っていた剣とは段違いの威力だ。この機を逃すまいと、リュウは一歩を踏みこみ斬り返しの一太刀を叩きこむ。が、それはかなわぬものとなる。
腕を弾き、間合いを詰めようとしたわずかな間に、魔物はさっきと同じように息を吸いこみ、今度は極低温の凍てつく息を吐き出していた。身を切るような風と炎さえ凍りつく冷気を前にして、リュウの動きが一瞬止まる。そして次の瞬間、魔物の右腕がリュウを捉える。爪が胸をえぐり、5本の赤い筋が刻まれる。さらに弾かれた左の爪がリュウの左胸に向かって突き出される。狙いは心臓。
再び訪れた危機。だが、死の影が迫るこの瞬間を迎え、生命としての強力な生存本能がこの危機から逃れるべく抗っていた。誰もが驚くほどの超反応、それは刹那とも思える瞬間に剣を構えなおし、剣で胸を護るようにリュウの手足を動かす。魔物が繰り出した突きは剣に阻まれ、リュウを突き飛ばす。数メートルも間合いを離された後、勢いが止まった。
身体の自由が利くようになった途端、リュウの胸に激痛が走る。胸に手を当てると、血が手に付くだけでなく奇妙な感触が得られる。鋭い爪で胸を切裂かれ、肉までえぐりとられていたのだ。目の前が白く染まり、脱力感が全身に走る。膝の力が抜け、リュウは片膝をついた。心臓の拍動が全身に響く。やはり一人で挑むのは無謀であったのか…。
いや、たとえ無謀であろうと、俺は勝たなければならない。10年前のあの日…悪夢のような魔物の声…使命の子…。あの時俺に悪夢を見せた魔物を倒さなければ…。
「ぐはははは! 惜しかったな!
だが、この程度では私の攻撃は防げないぞ!」
魔物が言い放ち、今度は目を閉じて念じ始めた。その声に反応するようにリュウは立ちあがる。右手に念を集中し、アプリフの魔法をかける。このように深い傷では応急処置にしかならないが、傷口を塞ぐぐらいはできる。そして剣を握りなおし、魔物を見据える。まともに挑んでは、ブレスと爪の連携の前に二の舞を演じてしまう。せめて片腕だけでも封じなければ…。再び剣を構え、今度は魔物に向かって走り出す。
「喝!」
魔物が眼を見開き、気合いを発する。バチバチとスパークが走り、落雷がリュウを直撃する。止めとばかりに左腕の一撃を叩き込む。だが、落雷の中から人影が飛び出し、一撃が届くその寸前に地面を蹴った。空振りに終わった左腕の上で、リュウはさらに腕を蹴り宙を跳ぶ。空中で上段に構え、渾身の力をこめて剣を振り下ろす。
「うぉりゃぁあああ!」
気合いと共に振り下ろされた大剣が魔物の腕に当たる。全身の力に加え、上乗せされた勢いと剣の威力で刃が魔物の身体に食いこむ。リュウの総力を注ぎこんだ斬撃の前に、魔物の身を護る殻は割られ、太い腕と身体をつなぐ組織も二つに別れた。
斬り落とされた腕が地面に落ちる。腕を斬り落したという事実に一瞬、リュウの気が緩む。刹那の後、何かがわき腹に当たりあばらに強い衝撃が走る。目の前がまたも白く染まる。アプリフの魔法で塞いだ傷口がまた開いたのだ。衝撃を受けたリュウの身体は宙を横に飛ぶ。だが、このときに感じた痛みはリュウに気絶させることを許さなかった。そればかりか、この極限状態を迎えてリュウの五感はさらに鋭くなり、まだ戦えると訴えている。
倒れぬよう勢いを殺しながらリュウは着地する。すぐさま魔物を見据え、剣を構える。開いた傷口からは血が流れ始めていた。が、痛みは感じない。再び魔物に向かって駆ける。
魔物は片腕を失い、バランスを崩していた。顔の位置が少し下がっている。すぐには反応できないでいる魔物、その眼を狙いリュウは剣を突き出す。今度は防がれることがなかった。柄まで深々と刺さり、激痛に堪えかねた魔物が絶叫を上げ首を大きく反らす。戦士とはいえ軽量級の部類に入るリュウの身体は宙に放り出される。だが、剣を握ったまま離さない。素早く剣を引き抜き、着地に備える。もう余力が残っていない。次で決めなければ…。
着地と同時にリュウは懐に飛び込む。目の前に迫った肉の壁に向かい、リュウは剣を振った。右へ、左へ、2つの斬撃が刻まれる。さらに追い討ちをかけるべく、右足を踏みしめ剣を上段に構える。そして、この戦いで最後になるであろう、全身全霊の一撃を叩きこむ。叩きこまれた一撃で魔物の身体が押しこまれる。魔物の身体が崩れ、リュウの前に倒れる。
「ぐううぅ…ここまでの力とは…」
魔物がうめく。もはや戦う力は残っていまい。そして、リュウも。
「我々は…間違っていたのかもしれん…
使命の子に門を開かせ、その子を倒そうというのは…ぐっ!」
潰された眼から黒い血が噴き出す。
「リュウよ…使命の子よ…
私は…お前の勇気を称えよう…
私の…負けだ…うおおおぉぉぉ!」
突然、魔物の身体から閃光が走る。それは音もなく爆発し、辺りは再び沈黙が支配した。リュウの下に仲間が駆け寄る。
「すげえぜ、リュウ! 本当に一人で勝ちやがって!」
ボッシュが肩を叩く。うっ…と声をもらし、リュウがかがみこむ。
「リュウ!? その怪我…」
「うわー、こりゃひどいね。骨が折れてるよ。出血もひどい」
ボッシュが回復魔法をかける。暖かな光がリュウを包み、怪我を癒す。立って歩けるほどに回復し、リュウが立ちあがる。
「心配かけちまったな。みんな…すまん。勝手なこと言っちまって…」
「もう無理はしないでね」
「…おう」
深く息をつき、リュウは皆の顔を見渡す。
「じゃあ、行こう」
リュウは闇の中へ、さらに歩を進める。世界に死をもたらさんとする、邪神の下へ…。
終