Before

1. Ignition

誰も知らないどこか遠いところ、これはそんなところで起きたお話である。

東西をヴェストファーリア帝国とオストファーレン王国という二つの大国に挟まれ、両国の緩衝地帯として永らく中立を保ってきたベネル公国。

その南端にあるランジュの町は、常に緊張状態にある両大国の国境が接する所にも近く、さらに公国の中立政策により比較的自由な通行が行えることもあり、東西を結ぶ中継拠点として機能している。そのためか、首都から離れた辺境の町であるにもかかわらず、君主直轄領として太守が置かれるほどの重要な土地とみなされている。

そんな辺境の町へ続く道はいつも交易に訪れる商人やら巡礼の旅を送る人、あるいはランジュの町や近くの国境へ詰める兵士など、様々な人が通り抜けていく。その中にあって、とりわけ目立つ若い男が一人歩いていた。

その男は周りより頭一つほど背が高く、ブロンドの髪にはところどころ赤い毛の房が混じり、その目は片方が赤く、しかもうっすら光っている。だがそれだけなら、大して珍しくも無い。この世の中に、大柄で赤い髪と瞳を持った男など大勢いるからだ。

彼は旅行用の外套の下に白い修道服を着ている。その左胸には円に六角の星が刺繍されており、それだけで彼が竜神教団に所属する神官であると判る。被り物をしていないあたり、まだまだ位は低いのであろうことも推し量れる。だがそれだけでは彼を目立たせるには足りない。竜神教団というのはあちこちに信徒がいる大きな組織であり、勢い教団の修道服を着た人間も数多くいるためである。

そのような、一見平凡そうに見える彼を目立たせているもの、それは背中に負われた大きな剣であった。ほとんどが外套の下に隠れているが、それでも彼の背丈より長く、幅も相当に広いことは判る。武器のことが判る者が見れば厚みもそれなりにあるし、重さも相当なものであることも推し量れる。人間やそこらへんの動物ぐらいなら一撃で真っ二つにしてしまうにちがいない。

さすがにそのような物騒な物を担いだ神官などそうそういるものではなく、そのためにすれ違う者たちの多くが、その背中の剣に注意を向けるのであった。

やがて男はランジュの町の入り口についた。ランジュの町の周囲には城壁が巡らせてあり、城門では兵士が人の出入りに目を光らせている。その周囲には、町に入れない者たちやそれらを目当てに商売をしようと目論む者たちがあちこちにたむろしている。中には天幕を張ったり露店を設けたりして長期戦の構えを見せている者までいる。とにかく、町の外は人にあふれていた。

そんな者たちを視界の隅に置きながら、男は城門に近づいた。

順番待ちの列に並び、検分を待つ。

やがて彼の順番がやってきた。

立ち会う兵士は二人、その後ろに町役人と思しき者が一人。兵士はどちらもベネル公国の兵士の制式装備である鎧を着込んで兜を被り、剣を帯び、槍を手にしている。ここはベネル公国領の町なのだから、兵士がそのようないでたちをしているのは当然なのだが、最近の東西両国の政治事情を鑑みても似つかわしくないほどにしっかりした装備である。

「名前と入城目的は?」

兵士の片方が事務的な口調で切り出した。

「レイサークといいます。遊歴の途中で竜神教団の支部を訪れるために参りました」

外套の下の修道服の刺繍を見せつつ、露骨な東方訛りの混じった、しかし神官らしい丁寧な口調で男――レイサークは答えた。

「竜神教団の人ね……まぁその格好なら間違いないンだろうが……」

兵士はしばらく疑うような目でレイサーク……の頭の近くに見える物に目を向けた。

「一応、規則につき身を改めることになっているので、な。もう少し付き合ってもらう……持ち物はそこに置いてもらおうか」

指でそばの台を指す。特に抵抗する様子も無く、レイサークは指示に従う。

外套を脱ぐと、その下に隠れていた剣――幅広の刀身を持つ両手剣が正体を現した。右手で剣の柄を握りながら、左手で腰のベルトに接続された金具を外すと、

剣の重量を支えていたと思われる、幅広で分厚い革の帯が垂れ下がる。指示された場所に剣を横たえ、帯をその傍に置き、レイサークは兵士に向き直った。

「これでよいでしょうか?」

「結構。では、失礼する」

先ほどとは別の兵士が歩み寄り、レイサークの身体を肩から腕、背中、腰、尻、足と、修道服の上から触って改めていく。さらにベルトに下げた袋の中身も確認する。しかし不審なものは見つからなかったと見え、兵士はため息をついた。

「そんなことは無いと思うが、そっちの武器も改めさせてもらう。よろしいか?」

「結構です。存分にどうぞ」

問題なし、といった風情のレイサークを横目に、兵士は横たえた剣を持ち上げようとして……一言呻いて苦痛に顔を歪めた。

「おい、どうした?」

もう一人の兵士が相方の様子に気づき声をかける。

「いや、この坊さんの得物……重すぎ」

「そんなわけあるかよ。これぐらい……ッッ!」

相方の言葉を冗談と受け取ったのか、もう一人の兵士も剣に手をかけたが、同じくその重さに驚きの表情を浮かべた。数キロとか十キロといった程度ではなく、数十キロはある感触である。

「こんな莫迦げた代物、作り話とばかり思っていたぜ。これじゃリアル竜ご」

「シッ! その先は言うな……ブッ殺されるぞ」

相方の口を手で塞ぎ、出掛かった言葉をあわてて封じる。先ほどの身体検査のとき気づいたのは、腕も足も胴回りも異様なほど太い筋肉を付けているということだ。想像しなくてもこの若者は人間一人ぐらいなら掴んで振り回すことができるだろう。このすさまじい重さの剣を得物としているのなら、そんな腕力を持ち合わせているのも理解できる。

さらに、赤い髪と赤く光る目、背中と尻の感触から見て火蜥人あることは間違いない。ついでに言えば、竜神教団とは火蜥人の始祖たる火竜を神として奉じる宗教勢力である。さきほど言いかけた言葉を口にすれば、まず間違いなくこの男は怒り出す。宗教家に関わるときは言葉を慎重に選ばなければいけない。さもなくば、最悪殴り殺されるか斬り刻まれるかもしれないのだ。

「どうかしましたか? 何か言いかけたようですが」

背後から聞こえた声に、兵士が肩をすくめて驚く。振り返ってみるとさきほどと同じ様子でレイサークが立っている。気づかなかったのか、それとも聞き流したのか、すぐには判らないところが余計に怖くもある。

「何でもない。すぐに終わるから、少し待て」

待つよう指示を出し、兵士は改めて剣を調べ始める。その得物は確かに両手剣であるが、刀身が並みの両手剣よりもはるかに幅広で分厚い。ついでに、刀身を支える軸の部分も、普通の倍の太さがある。長さ以外は何もかも規格外であるが、少し珍しい東方様式の拵えになっている以外は、どうということのない普通の両手剣である。何も問題は無いように見える。

「よろしい。通行を許可する。竜神教団の支部なら中央の十字路を右だ」

「ありがとうございます」

言い終わるなり、レイサークは持ち物を身に付け始める。預けた剣を拾い上げ、背中に担いで帯で支え、金具を留める。外套はたたんで手に持ち、兵士に向き直る。

「それでは失礼します。あなたに始祖の加護がありますように」

お決まりのような言葉を残し、レイサークは街の中へと足を進めていった。

*  *  *

兵士に教えられた通りに町の中央の十字路を右に曲がると、塀に囲まれた建物が見えてきた。ささやかな広さの庭に囲まれた建物の玄関の扉には、円に六角の星――ちょうどレイサークの着ている修道服に刺繍された紋章と同じものがあしらってあり、竜神教団に関係する建物であることを示している。さらにその背後に目を向ければ、礼拝堂のような建物と宿坊のような建物並んでいるのが見える。

此処がランジュの町の支部か、と一人得心しながらレイサークは門を抜ける。玄関の扉の前に立ち、手を組んで礼を捧げる。そして顔を上げ、扉を開いてその中へと踏み込んでいった。

支部の中は静けさが漂っていた。寺院の中では元来静かにするべきものであり、それは竜神教団においても同様である。加えて礼拝の時間は過ぎているし、宿坊に泊まっている者もとうに発っているはずであるから、当然のことではある。さてどうやって人を呼んだものだろうと周囲を見回したレイサークは、自分の傍の壁に注意書きがあるのを見つけた。

「御用の方はこのベルを鳴らしてください」

なるほどそういうことか、と納得して、ベルを手に取って一つ、二つと鳴らした。高く澄んだ音がホールに満ち、しばらくすると足音がこちらへやってくる音が聞こえ、そして白い修道服を着た女が姿を現した。レイサークと同じく、左胸には円に六角の刺繍、そして被り物を着けていない。レイサークと同じ位階というわけである。その修道女はレイサークの姿を認めるとその前まで歩み寄ってきた。

「ランジュ支部へようこそ、兄弟。私はここで助祭を務めるカリーヌです」

「レイサークです。ズイテン管区ダーラナ支部所属ですが、今は許可をもらっての遊歴中です。支部の長にご挨拶したいのですが……?」

お互いに自己紹介を済ませ、責任者に会いたいと申し出ると、カリーヌは少し困った顔を浮かべた。

「司祭様はブリセルでの会議に出かけていて、その帰りに太守様のお屋敷に寄る予定でして……戻るのは遅くなります」

「そうですか……ではそれまで待つことにしましょう。宿坊をお借りしてもよいですか?」

「構いません……」

カリーヌは即答したものの、語尾を少し濁してレイサークの顔色を窺うかのように視線を向けている。

「……何か困りごとでも?」

その何かを気にしている様子に気づき、レイサークから切り出した。

「……はい。着いたばかりのレイサークさんにお願いするのもどうかと思いまして」

カリーヌの顔は浮かないまま、慎重に言葉を選んでいる。

「遠慮は要りません。何か困っているのでしょう? 疲れたというにはまだ程遠いですからね。多少の力仕事も、問題ありませんよ」

その返事にカリーヌの表情が和らいだ。レイサークの言葉がカリーヌの心配を潰したようである。

「良かった……買出しに行きたかったのですが、男手が無くてどうしようかと」

「それなら、早く済ませましょう……と、その前に余計な得物は置いてきましょう」

その日の買出しはとても楽だった、とカリーヌは後に述懐している。普通の男子よりも大柄なこの火蜥人は腕力にも優れていた。どうせ大量に買うのだからと、女の身では抱えるのも一苦労になるほど満杯にした袋を二つ背負い、さらに両の手に一つずつ持ってくれたのである。カリーヌはさすがに大変ではないかと気にしたが、レイサークは「武器を担ぐよりはよほど楽なものですよ」と全く苦にする様子もない。おかげで、いつもなら何往復もしてようやく終わる買出しも、このときばかりは一往復で済み、さらに薪にするための材木までまとめて調達することができた。もちろん、担いだのはレイサークである。

「とても助かります。薪割りまで手伝っていただいて。こんな時にレイサークさんが来てくださるなんて、始祖はしっかりと見てくださっているのですね」

買出しが終わった後、自分がいるうちに力仕事をできるだけ済ませてしまおうと切り出したレイサークに対し、カリーヌは薪割りをお願いしていた。ささやかな労いにとカリーヌが茶を淹れた頃には、買ってきた材木のほとんどが手頃な太さの薪に変わっていた。

「お気遣いありがとうございます。ここに滞在している間、できる限りの力仕事は手伝いますよ。それよりも……」

差し出されたお茶に口をつけ、一息ついたレイサークはやや真剣な顔になった。

「……何でしょうか?」

急に表情の変わったレイサークに、カリーヌの表情が固くなる。

「男手が足りない以上に何か困っていることがあるのでは?」

「……っ!」

カリーヌの表情が固いものから狼狽のものに変わった。

「そう思える理由はいろいろとありますが、一番気になったのは……」

レイサークはそこまで言って茶の残りを飲み干した。

「あなたの目が私が背負っていた剣を見ていたことです。人斬り包丁に興味を持つなんて、年頃の女性の行動としては尋常ではありませんよ」

何か言おうと言葉を探している様子のカリーヌに対し、レイサークは表情を和らげた。

「でも、それぐらいに差し迫った事情があるのでしょう? だからこそ『こんな時に』私が来たことを幸運と思ったのだと察しますが……」

「ご明察の通りです。今この町には、その剣を必要とするような災いが降りかかっています。太守様も司祭様もそのことで心を痛めておられます。ランジュの町の民として、是非ともその武力をお借りしたいのです」

テーブル越しに頭を下げて協力を請うカリーヌに対し、レイサークは席を立ち、カリーヌの傍まで歩み寄った。そしてその場に片膝を着いてカリーヌの手を取った。

「もちろん、協力いたします。始祖の血を受け継ぐ者として、災難を見過ごすことはできませんから」

再び顔を上げたカリーヌの顔に、安堵と感謝と、少しばかりだが歓喜の表情が浮かんだ。

「……ありがとうございます! これできっと……」

「……きっと?」

カリーヌの言葉にレイサークが反応する。

「いえ、何でも、ないです、よ? うふふ」

「……それなら結構です。それよりも、その災いについて説明していただけますか?」

カリーヌのぎこちないごまかし笑いに、レイサークは不承ながらも話を切り替えた。

そしてカリーヌが教えてくれた事件の経緯とは、だいたい次の通りであった。

2年ほど前から、月が真夜中に中天にかかる頃になると、決まって人が殺される。犠牲者は年齢も性別も人数もばらばらで、働き盛りの男の場合もあれば年端もいかない少女の場合もあった。被害に遭うのは町の者ばかりではなく、この町にたまたま滞在していた商人団や巡礼者が殺されたこともあった。さらに、犯人は心無いばかりか力も強いようで、最近の事件では武装した兵士までもが犠牲になっている。殺され方もまた残酷で、頭を無残に潰されたり、手足を引きちぎられたり、腹をえぐられて内臓をあらかた抜き取られたり、少々奇妙なところでは男女問わず陰部をむしり取られたりなど、とにかく体のどこかが欠損した状態で見つかるのだという。

「目的不明の無差別殺人、ですか……。内臓を持ち出すなんて、シチューでも作ってパーティでも開くつもりですかね?」

「レイサークさん……冗談でも酷すぎます」

「失礼。だけど率直に考えると、内臓を持ち去る目的といったら、猟奇趣味以外ではそうやって食用にするぐらいしか思いつかないのですよ。さもなければ……」

「なければ……?」

続きを促すカリーヌに対し、レイサークは首を傾げて考える。

「後は、儀式ですかね」

「儀式……ですか」

カリーヌも一緒に首を傾げ、しばらくして思い出したように表情を変えた。

「そういえば、以前ここに立ち寄った巡礼者から聞いたことがありますね。神への捧げ物として獣の臓物を用意する宗教があるらしいですが……」

「そうですね。その延長で、南方には男根と女陰を神体として奉るなどという、ちょっとブッ飛んだ信仰まであるらしいですよ」

「……えっと……レイサークさん?」

カリーヌが露骨に渋い表情を作る。

「いや、聞いたことがある、ってだけですよ?」

「……それは、まあ、判りますけど……」

レイサークは弁解するが、カリーヌの視線がいかにも非難に満ちているのがなんとも痛い。

「……」

「……」

「……」

気まずい沈黙があたりに漂っている。

「……まあ、要はアレです。犯人を捕まえる以外にもやるべき事ができた、という事ですよ」

なんとか話をまとめようと、レイサークが沈黙を破る。掌を上に向け、軽く腕を振ると、乾いた音と共に小さな火の玉が掌の上に現れた。

「汚物は消毒しなければいけませんからね……公衆衛生的に考えて」

火の玉を揉み消すように手を打ち合わせる。これでお終いにしよう、というわけである。

「それよりも、この辺りで次に月が真夜中に中天に達する日というのは、いつになりますか?」

「それは……ちょっと待ってくださいね。暦を確認してきます」

カリーヌが席を立ち、奥の部屋へと向かった間、レイサークは腕を組んで考えた。

――質の悪いヤクザ者が居ついたのだろう、ぐらいに考えていたが、連続殺人とは予想外だ。

――だがそうと判れば、城門にいたフル装備の兵士や入念な身体検査も、交易都市という割りに少ない人通りも、合点が行く。

――下手人は怪力の持ち主であるらしいから、俺もいくらかは疑われるだろう。教団の者であることは証明してみせたが、濡れ衣を着せられるかもしれん。

――そうなると、下手人に先手を取られる前に太守か警邏隊に掛け合うのが得策だろう。まずはこの町での行動の自由の確保が優先だ。

そこまで考えてふと、視線を感じた。視界の隅に注意を向けると、誰かがドアの陰からこちらの様子を窺っているのが見えた。女の子である。

顔をドアのほうに向けると、女の子と視線が合った。が、女の子は顔をひっこめて隠れてしまった。直後、廊下を足早に歩く音が聞こえた。立ち去ったようである。

――警戒されているな。それにしても、さっきまでは居なかったような気がしたが……まぁいいか。

さっきの続きを、と考え始めたところで、カリーヌが戻ってきた。その傍には、さっき見た女の子がいる。

「お待たせしました。それと、紹介がまだだったのをすっかり忘れていました。シャル、ご挨拶ですよ」

そう言ってカリーヌは女の子を促した。が、恥ずかしがっているのか、嫌っているのか、あるいは怖れているのか、女の子はもじもじとするばかりで言葉が出ないようである。カリーヌもしばらく見守っていたが、やがて待ちきれなくなったのか、とりなしに入ろうとする。

「すいません、人見知りする子なので……」

「構いませんよ。初めて見た他所の人を警戒するのは当然ですから」

カリーヌを制し、レイサークは立ち上がって女の子の前に片膝を着く。

「ダーラナのレイサークです。カリーヌさんとは始祖の下に兄弟です」

「……シャルロットです」

手を胸に当てて兄弟と名乗る教団の礼式に沿って自己紹介をすると、ようやく女の子は名前を教えてくれた。

さらに近づきの証にと手を差し出すと、シャルロットはカリーヌの後ろに隠れてしまった。それも、けっこう素早くである。

「……嫌われてしまいましたかね?」

「いえ、そんなことは……ただ……あぁ、何と言えばよいのか……」

フォローの言葉を探すカリーヌは困惑した表情を浮かべている。

「仕方がありません。仲直りしてもらえるように、私も努めますよ。それよりも、暦の話の続きを……」

「あ、そうでしたね……シャル、私はこの兄弟と話があるから、しばらく待っていなさい」

シャルロットを退出させて、再び席についたカリーヌは、重い表情で告げた。

「今夜です」

「今夜? 間違いなく?」

確認のために今一度聞いてみる。

「はい、今夜です」

「……それでは、また今度も犠牲者が出てしまうと、いうことですか?」

「……………………」

カリーヌは沈黙したままはいともいいえとも言わないが、沈痛な表情は肯定していた。

教団の規則から考えれば、カリーヌは間違いなくこの町の出身である。また犠牲者が増えるという現実は地元の人間にとっては辛いものであろう。レイサークの問いはすなわち失言である。

「失礼しました。ですが……こう、希望を持てそうな話は何かないですか? たとえば、たまたま犯人が度忘れして被害が出なかったとか、暦を一日間違えて翌日ずれたとか……」

なんとか元気を取り戻してもらおうと希望的観測を並べ立ててみるが、定期的に人を××してまわるような犯人がそんな愚を犯すだろうか?

「そんな幸運があればどれほど良かったか……」

やはり希望通りには行かないようである。

「……」

「……」

またしても沈黙の時が続く。どうしたものだろうとふと窓の外に目を向けると、だいぶ陽が傾いていた。あとそれほど待たずに日が落ちるだろう。

「……そういえば、今夜の対策ですっかり忘れていましたが、司祭様はもう戻ってくるのでしょうか?」

レイサークが問いかけると、カリーヌは我に返ったように顔を上げた。すっかり忘れていたのは同様らしい。

「……太守様の用件が長引いてなければそろそろだと思いますが……ちょっと心配です」

「念のために私が迎えにいったほうがよいでしょうか?」

レイサークが確認を求めると、カリーヌはしばらく思案していた。此処やシャルロットの安全と司祭の無事な帰還と、頭の中で秤に架けているのだろう。

「レイサークさん、お願いします。どうかご無事で戻ってきてください」

迷った末に、カリーヌは司祭の護衛を頼むことにしたらしい。

「私のことなら心配は要りません。用心のために得物も持っていきます。気休めかもしれませんが、司祭様が無事に戻ってこられるよう、カリーヌさんは始祖の加護を祈ってください」

*  *  *

陽が遠くの丘の向こうに沈もうとするまさにその刻、レイサークはすっかり人影も無きに等しくなったランジュの町の通りを歩いていた。

この手の町では、この刻になると訪れる者を当て込んだ色町の客引きなどが姿を見せたり、酒場が晩刻の営業を始めたりする……のであるが、そこそこの規模の町であるにも関わらずこの静けさである。酒場もいくらかは店を開けているようだが閑古鳥が鳴くに等しい様である。事情が事情だけに、日陰者すら用心しているのだろう。

支部を出た後、真っ先に太守の屋敷を訪れたが、司祭と会うことはかなわなかった。正確には門前払いを受けたのだが、急な訪問であることを考えればいないことを伝えられただけでも十分良い扱いである。既にいないと判れば時間を無駄にする必要はなく、少しでも人気の多いところを駆け足で探し、そしてこの時刻――日の入りとなった。

少し考えをまとめようと、レイサークはとある路地の壁に背中を預けた。

この後は夜、問題の事が起こる可能性の高い状況である。陽の沈んだ反対の方角に顔を向ければ、既に月が昇り始めている。夜警が開始される刻は過ぎた。一応、この町の警邏隊に捜索願の申入れはしていたが、あまりモタモタしていると自分が殺人犯としてしょっ引かれるハメになるだろう。たかが人探しのためにこれ以上カリーヌやシャルロットを心配させるわけにはいかない。だが、いまだ司祭が見つかる望みは見えてこない。おまけに探せるのは自分一人、警邏隊も正直そこまで当てにできない。

そこで問題である。

人手も時間もまったく足りないなか、どうやって司祭を探すか?

三択――一つだけ選びなさい。

答え1:ハンサムのレイサークは突如解決のアイデアがひらめく

答え2:実は行き違いで司祭はもう支部に戻っており、心配は徒労に変わる。

答え3:司祭は被害に遭う。現実は非情である。

自分としては答え2に○を着けたいところであるが期待はできない。

そもそも、捨て置けない事情があるから帰宅が遅れているのであって、それがいきなり解決するというのは都合が良いにも程がある。

「やはり答えは……1しかないか」

偶然でも何でもいい、どんな手を使ってでも人探しができる者を誘いこんで司祭を見つけるしかない。

そうと決めたのなら、こんな路地にいつまでも居る必要はない。壁に預けていた体を起こし、路地を歩きつつレイサークは頭の中で考え始める。

確か中央の通りに店を開けている酒場がいくつかあったはずで、そこでなら目撃証言が得られるかもしれない。

当てにできないとは言え、警邏隊も捜索に協力してくれるわけだし、人手だけなら十分である。

それに、司祭であれば公人としてのつきあいも生まれるから、顔を知っている者もそれなりにいるはずである。

さらに教団の教えや紋章自体も、このあたりなら知らぬ者はいないと言い切れる程度には広まっているし、叙階を受けた者は紋章が見えるように法服を着用するべしという教団の規則もある。

――なんだ、思ったよりも明るい材料があるじゃないか。

考え始めてみれば望みを持てそうな要素が結構出てくる。やはり後ろ向きな発想はいけないな、と思いつつ表通りの酒場を目指して駆け始めた途端、目の前に赤い光が飛び込んできた。そして、何かがレイサークにぶつかった。

「*おぉっと*」

「きゃっ!」

レイサークが声を上げると同時に、目の前の何かも声を上げた。たぶん人、それも女性のようである。ぶつかった弾みでよろけるが、そこは武芸を嗜む身、すぐさまバランスを取って持ち直す。が、相手はそういうわけにもいかなかったようであり、誰かが地面に転ぶ音が脇から聞こえた。

すぐに向き直るが、あたりは既に暗い。当然、ぶつかった相手がどこに倒れているのかもわからない。

――こういうときは……明かり、か

軽く握った手を振り、すぐに掌を上に向ける。すると乾いた音と共に小さな火の玉が掌の上に現れる。とっさに明かりがほしい時の簡便な方法である。

火の玉を手に、うっかり踏みつけてしまわないよう注意しながら腰を落とす。あたりをゆっくり照らして回ると、その人はすぐに見つかった。だが、足のほうから照らしているらしく、正体はわからない。そのまま火の玉を持った手を顔のほうに近づけていく。顔が映るかといったところまで来ると、その人は急に体を起こした。

顔の間近にお互いの顔を捉えたまま、二人はしばらく固まった。

「……見た?」

「……? 何をですか?」

「見てないのね?」

「あなたの秘密という意味なら『いいえ』ですが」

「おまえは何を言っているんだ」

訝しげな表情で首を傾げて女が聞き返したのを最後に二人の会話が途切れた。

しかし、このままお見合いを続けても仕方がない。今はこの場を収めるのが先である。

「とにかく、すいませんでした。立てますか?」

「だいじょうぶよ。ちょっと首をやったぐらいだから」

レイサークの問いに女は何事も無いという風情で立ち上がった。

「いやそれは……だいじょうぶといわないのでは」

「だいじょうぶよ。他所様とは首の出来が違うから」

「おまえは何を言っているんだ」

今度は訝しげな表情で首を傾げてレイサークが聞き返す番だった……が、今は目の前の女の謎の発言を詮索している場合ではない。もしかしたら彼女こそが今夜の犠牲者になるかもしれないのだ。

「お嬢さん、警邏の当番でないのなら、何も起こらないうちに家にお戻りなさい」

「……今夜何か起こるの? というかお坊さん、この町の人?」

「今晩、人死にが出るかもしれないのです。それと、私はこの町の者ではありませんが、いろいろと事情あって人探しに協力している身です」

あらやだ、とでも言いたげな表情の女を見て、レイサークは頭の中で素早く考えた。

――この町の住人ではないのか? ならば司祭を探す役には立たなさそう……だが、今はわずかな望みも欲しいところだ。

――少しだけでいいから、協力してもらうことにするか……

すぐに考えをまとめ目の前の女に切り出す。

「宿に戻るまでのほんのわずかな間でよいのですが、もし私と同じ紋章を付けた法服を着た神官を見たら、竜神教団まで伝えてもらえませんか?」

「見ず知らずの女の子にいきなり人探しを頼むなんて、ずいぶんと大胆ね……竜神教団というのはそんなに人手不足なのかしら?」

女の言葉には冗談めかした色が浮かんでいた。露骨な物言いは少々癪に障るが、現に他所から来た遊歴中の信徒を駆り出さないといけない状況であるのは事実である。認めざるを得ない。

「Exactly(その通りでございます)」

「……其処は嘘でもいいから否定しようよ……」

女は呆れた様子でため息をついた。予想外の返答であったということか。

「それだけ状況が切迫しているということです。体面を気にしている場合ではありません」

「ふーん……で、協力したら何かいいことあるの?」

「いいこと、ですか?」

「そうよ。こんな晩刻時に女の子を口説くつもりなら、それなりに見返りがあってもよいでしょう?」

はっきりと口には出さないが、取引をしたいようである。頼みごとに対して見返りを期待するのは道理である。しかし、教団としては少しの暇すら惜しい状況である。正直、無理にでも承諾してもらいたい。だが無理を通せば話がこじれるに違いない。

「気持ちは理解しますが、先ほど申し上げた通りゆっくり交渉している場合ではありません。そのことは後回しにしてもらうことはできますか?」

「それは、期待してよい、と受け止めてよいのかしら?」

はっきり返事を返せばすぐにでもまとまるだろう。しかし、教団の助祭として活動している以上、支部を取り仕切る司祭……が今は不在であるからそれに次ぐカリーヌの意見を聞いて諒解を得るのが筋であり、此処では外来の助祭であるレイサークに決定権は無い。承諾すれば越権行為となるが、ここまできて協力者をみすみす手放すわけにはいかない。

レイサークは迷った。

諒承したことが明るみになれば、内規を守らなかったことで責任を問われることになるし、外部に対しても教団の体面を傷つけることになる。そうなれば、自分はともかくカリーヌやシャルロットに迷惑がかかる。だが、見過ごした結果として司祭の身に何か起こればさらに大問題である。まだ幼いシャルロットはともかく、自分に期待を寄せているカリーヌは確実に失望するだろう。

――どっちを選んでも行き詰るじゃねーか!

レイサークは心の内でどこかに向けて叫びそうになった。進むもならず、退くもならず、まして留まるわけにもいかない。

――逃げる? 何処へ? 故郷へ? 間違いなく義姉さんにサバ折られますがな……

この如何ともし難い目の前の状況をどこかに打ち遣って逃走したいぐらいである。だが、よく考えなくても逃げるというのは最悪な選択である。

レイサークはさらに考えてみる。そもそも逃げずに済ませる方法はないものか、と。

――そもそも教団の者として請けるから問題なわけで、教団の者でなければ問題ないのでは?

教団の規則に縛られると問題になるのだから、規則に縛られなければ問題は起こらないのである。

そこまで考えて、レイサークの頭に一つアイデアがひらめいた。教団の助祭としてではなく、始祖を敬う一般人としてなら引き受けても問題はないはずである。

「期待してくれて結構です。教団の助祭としては返事しかねますが、一介の火蜥人としてお礼をすることぐらいはできますので」

少々言い訳がましいが、終わりよければ全てよしである。あとはこの目の前の女が高くつく見返りを要求しないことを願うばかりである。

「じゃあ交渉成立ってことで。そのセンスの欠けた模様を付けた服装の人でいいのね?」

「その通りです。それと、教団の支部が中央の辻から北門方向に1ブロック入ったところにあります。私はそこに寝泊りしていますので、何かあったら支部まで来てください。では、人探しに戻りますので、失礼」

余計な一言すら気にせず、口早に目の前の女に伝えてレイサークは晩刻の町へと踏み出した。

「……ようやく物になりそうな人が見つかったわね。彼にがんばってもらうことにしましょうか」

早々に去ったせいもあるだろうが、そのようにつぶやいた女の声がレイサークの耳に届くことは無かった。

月が中天を過ぎ、酒場も全てが閉店となった頃、レイサークはいまだ夜のランジュの町を歩いていた。もはや通りを歩くのは極わずかな警邏の人間と白装束の神官のみという寂しさであるが、尋ね人の司祭はいっこうに見つからない。

公人としての知名度はあるはず、というレイサークの推測は当たっており、立ち寄った酒場には知っている者が何人かいたのだが、行方はわからないということで空振りに終わってしまった。そもそも寄り道や酒場へ行くといったことはしない人であるらしく、それでいて戻らないのであればなおのこと事件に巻き込まれている可能性が高まってきている。

「ここまで来て当たりなしとは……クソッ!」

さすがに途方に暮れて悪態をつき、天を仰いだレイサークの目に傾き始めた月が映った。すでに暁の刻に入ったのだ。いい加減、支部に戻ってカリーヌに空振りとなった結果を告げたほうがよいのか、それとも夜を明かしてでも司祭が見つかるまで希望を持つべきなのか、選ばなければなるまい。

夕刻から捜索を始めて晩刻いっぱいを使って探したおかげで、この町の城郭より内側はほぼ回り尽くすことができたのだが、司祭の姿はおろか、事件らしい事件に遭った者すら見つからなかった。ときどき出会った警邏隊員にも確認はしたものの、同じく当たりは無し。ことごとく行き違いを繰り返したのではないかと思うほどに、司祭は影すら見えない。

――カリーヌに約束した手前、手ぶらで帰るわけにも行かないしな……さて、困ったぞ……

こんどは俯いて地を見る。見つからないことへの苛立ちが溜まらず、髪を掻き毟りそうになるが、その視界に何かが映った。そちらへ顔を向けると、それは眼の明かりと夜道の灯りのようであった。小さく揺れながらこちらへと近づいてくる。警邏隊員の灯りかとも思ったが、警邏隊は2人一組でそれぞれが灯りを持っているので、眼光と灯りは二つずつあるべきである。しかし、今見えているのは一人分である。ということは、灯りの持ち主は警邏隊ではない。

さきほどの女でなければ誰であろうか。

今夜は状況が状況なだけに、ただの命知らずを除けば一般人は外出を控えるはずである。

自分と同じく止まれぬ事情で外出している町の人であろうか。ならば(身の危険があるという意味で)問題ではあるが、(レイサークの人探しへの邪魔という意味で)特に問題はあるまい。

もしくは尋ね人である司祭かもしれない。そうであれば僥倖である。だがそんなに楽観できるだろうか? 世の中はそんな簡単にできていない、とは師匠の言葉だ。

ひょっとしたら、町の人間を装った下手人かもしれない。そうであれば、捕捉して警邏隊に突き出すべく警戒しなければならない。戦闘に突入する用心はしておくべきであろう。

最悪の場合に備えるべく、レイサークは右手を担ぎ上げた。用心のために持ち出した大剣の柄を握り、すぐに振り上げられるよう、膝を落とす。左手は前方へと伸ばし、その掌に意識を集める。すると徐々に手が淡く光り、熱を帯び始める。このまま撃てと念じれば、目標を焼く火柱を放つことができる。

だが、身構えるレイサークの様子が認められないのか、あるいは認めているが恐るるに足らずとみているのか、灯りの持ち主は特に歩みを止めることなくこちらへと近づいてくる。

灯りが近づいてくるにつれて、レイサークの緊張が高まっていく。

灯りの大きさから窺える彼我の開きがちょうど火柱のとどく間合いの外まで縮まったところで、その緊張が頂点に至る。

「止まれ。其処を来るのは誰だ? 俺に危害を加えようとするなら、灼熱の炎と鋼鉄の牙がお前を襲うと知れ」

灯りの持ち主が火柱のとどく間合いに踏み込んだ瞬間、レイサークは左手を胸元に引き寄せ、警告を発した。

さすがに相手もこちらの様子を把握したのか、歩みが止まる。次に出る相手の様子を窺うレイサークの頬を、汗が伝う。

「その声……レイサークさんですか?」

聞き覚えのある声だ。

――この声の主は……

「カリーヌ、さん?」

名前を呼んだのを合図に、灯りの主は弾きだされたようにレイサークの傍へと駆け寄ってきた。

目前まで迫ってきて、灯りに照らされた顔を見て、確かにカリーヌであると認められた。

レイサークの緊張が一気に解ける。剣を握っていた右手を離し、左手に集めていた意識を放つ。

「カリーヌさん、どうして支部を出たりなど!? 今夜の外出が危険なことぐらい、私よりあなたのほうがよっぽど判っているはずなのに……!」

レイサークの言葉にカリーヌが一瞬肩を震わせる。手を胸元に引き寄せて身をすくませる様子を見て、レイサークは自分が思わず語気を強めていたことを悟る。

「すいません……あなたの気持ちを無下にするような事を言ってしまって」

今度はレイサークが萎縮する番である。この健気な助祭は自分の身を案じた上、危険を承知で夜の町へと出てきたのだから。

「あの、いえ、あの…………レイサークさんが無事でよかったです。それよりも、もう打ち切って戻りましょう。司祭様も今夜が危険なことは承知していますから、きっとどこか安全な場所に身を寄せて朝を待っているはずです。レイサークさんだって、町中を散々回って疲れたでしょう?」

初めこそレイサークの勢いに圧された様子だったカリーヌも、すぐに平静を取り戻したようだ。

――これしきのことでは疲れませんよ。

そう言いかけて、レイサークは言葉を呑み込んだ。疲れていないのは事実だが、なにしろこの人はなかなか帰ってこない兄弟を心配して危険を冒すほどの気遣いを見せる人である。そんな人に疲れていないなどと返事をしたら、もっと心配してあれこれと世話を焼くだろう。既に相当気を遣わせてしまったのだから、ここはおとなしく従うべきである。

「そうですね。さすがに少々疲れました……カリーヌさんの言う通り、司祭殿も今夜は無事に過ごしていることを期待しましょう」

物騒な夜道を歩くカリーヌを警護しながらレイサークが支部に戻った頃には、月の傾きはますます大きくなっていた。

二人はそれぞれの部屋へ戻り、寝床へもぐりこんで眠りに就く。とうとう帰ってこないままの司祭が、無事に過ごしていることを願って。

だが、現実は非情である。