「まだ、続くのかよ…」
半ば吐き捨てるようにリュウが言う。ドラグニールのあの門をくぐってどれほど歩いただろうか。静寂と暗闇に支配されたこの世界では、時の流れを意識することがない。壁はところどころ明滅し、時々ろうそくの火のように揺らめく。その揺らめきは壁が生きているかのような錯覚を与えてくる。まるで生き物の腹の中にいる、そんな感覚をリュウは全身で感じていた。そして周りに渦巻く狂気のような空気。こんなところを歩こうものなら不安はもとより気が狂ってきそうだ。
「無限の塔」、ドラグニールの竜族はそう呼んでいた。その無限とも思える空間にも終わりがきた。しかし、そう思えたのは偽り。たどり着いたリュウの目に映ったのは終わりではなく始まり。全てを呑みこんでしまいそうな漆黒の空間。吸いこまれそうなほど透き通って見える闇には、不吉なほどの美しささえ覚えてしまう。この奥に邪神がいるのか…。
「…もう後戻りはできないかもしれない」
唐突な言葉に場が一瞬静まる。いや、元から誰も喋ってはいないが、いつもと違う言葉の雰囲気に皆の注意が集まっているだけだった。
「とうとうここまで来てしまった。多分、この奥に俺が…いや使命の子が討たなければならない邪神がいるはずだ」
みんな黙ってリュウの言葉を聞いている。
「相手は何と言っても神だ。今まではみんなと力を合わせて乗り越えてきた。だけど、今度は生きて帰れないかもしれない。だから、みんながいるこの場で言っておきたい」
「待った。そこから先はナシだぜ、相棒。俺はどこまででもお前について行くよ」
「私もよ。あなたの運命に私も従うと決めたんだから!」
「一人だけええカッコしようなんて、ダンナも水臭いねえ」
そうだ。長い旅を続けてきたのはみんな同じ。もう俺一人で抱えるようなものじゃないんだ。覚悟を決めているのは俺だけじゃない。気持ちも新たにリュウは闇の中へ一歩を踏み出す。その瞬間に感じた一抹の恐怖と懐かしさ、それは後に繰り広げられる激闘のほんの予兆でしかなかった。
闇の中をリュウは進む。この先に待つであろう、邪神の元へ。足元は見えないが、足の裏から伝わってくる地面の感触は今まで通って来た無限の塔のそれと違わない。だが…やはり先が見えないというだけでもこれまでとは違う。いつ終わるとも知れぬこの暗闇は不安、そして恐怖を掻きたてるには十分なほどだ。加えて、不気味なほどの静けさはその不安をさらに増す。何も見えず、何も聞こえず…。胸の鼓動と息遣いだけが耳の中に響く。それはゆっくり、しかし確実に激しくなる。
「来たか…使命の子、だな?」
不意の声が沈黙を破る。
「怖れるな…そのまま、まっすぐに来い」
声の主はリュウを招いている。その声は低く、太く…そしてどこか懐かしい。懐かしい…? バカな。こんなところに昔の思い出など…。
「くっくっく…闇が怖いか? リュウ…
子供の時のように…私の前で泣き叫んでみるか…?」
声の主はリュウを知っているようだ。
私の前で…泣く!?
刹那、目眩を感じた…ような気がした。しかし、それは気のせいではなかった。続けて視界が白く染まる感覚を覚える。リュウは一歩後ずさり、顔を手でおさえる。目眩を抑えようとする意識の中で、リュウが見たものは…昔の、記憶。
ある日の昼下がり…ユアを探して裏山へ…
見下ろすようにして眠りにつく、巨大なドラゴン…
暗い中に光る一つの目…悪い予感…
自分を忘れた村人…見知らぬ神父…
記憶はなおも蘇り、新しく蘇る記憶に流され消えていく。
村を出る…旅の始まり…
急な雨…逃げこんだ洞窟…
ゆらめく蝋燭の炎…
暗闇に蠢き、誘うもの…そして…
闇の中から現れたのは、この世のものと思えぬ巨大な体躯の魔物。鉤爪をもった太い腕、貫くようにリュウを見据える3つの目。身体と尾は鈍色の殻に覆われ、腕の間からのぞく腹は赤黒い筋肉が蠢いている。
「久しぶりだな…リュウ
やはり、お前が門を開いたのだな」
魔物が語り始める。
「使命の子よ…竜の勇者よ…私を覚えているか?
お前の悪夢…この私を!」
魔物の腕がリュウに向かって振り下ろされる。そして目の前に広がる鮮やかなる赤…。そして襲いくる恐怖。その恐怖に堪えられず泣き叫んだあの時、あの場所…忘れかけていた記憶。眼前に迫る魔物の腕と、引き裂かれ吹き出す鮮血の映像だけが絶え間無く繰り返される。
これは…夢!? 夢なら覚めてくれ!
心惑わすもの
闇に身を隠して
君を待ち構える
夢を奪うために
from "In the Forest"
words by Mitsuko Komuro